「もう出発の準備は出来たの?」
「あぁ、元々荷物なんてなかったからな…」
「そ…っか。」



そこで、会話は途切れた。











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いつもと同じ時間に部屋を出てはじまりの浜辺へ行くと、 そこには既に彼女が、夜空を見上げながら座り込んでいた。 仲間になった頃から、この場所で会うのが、ほぼ毎晩のことになっていた。 どちらが言い出したことでもなく、強制されていることでもない。 それでも、彼女はわざわざ四つの集落から一番遠いラトリクスから来てくれている。 そして、浜辺にやってきた俺に、小さく微笑んでくれる。 他愛も無い話をして、怒られて、「また明日」と言うこと。 その一つ一つが自分を自惚れさせるのには充分なものだった。 彼女と行く道を共には出来ないと分かっても、 今夜が最後の夜になるんだと分かっていても、 身勝手な心は未だにその事実を理解してはくれない。 頭の片隅で「好きだ」という言葉が繰り返される。 途切れた会話に何かのきっかけを見つけたのか、 アズリアは軍人らしく俊敏な動きで立ち上がった。 それに倣って俺も緩慢に腰をあげる。 コートの砂を払って、少し躊躇しながら顔をこちらに向けた。 「だいぶ冷えてきたな…私はそろそろ戻るよ。」 珍しい、彼女の困ったような笑顔。 寂しさや不安が滲む、いつも毅然とした態度を取ろうとする 彼女にしては珍しい笑顔。 「ね、アズリア。……ちょっと後ろ向いてくれる?」 「え?」 戸惑うままの彼女に、「いいから」と無理矢理背を向けさせる。 2人で月明かりだけが光源になっている海を眺めるように、並んだ。 頭一つ分低い彼女を見下ろして、 ぽん、と背中に手を置いた。 学生の頃よりも頼もしく、細くなった背中だった。 指先に少し触れる帝国軍の軍章が俺を威圧する。 掌から伝わる彼女の温かさに何故か胸が痛んだ。 小さく息をついて、 「大丈夫、アズリアならどんな道でも歩けるよ。」 それは、軍学校の試験に向かう前にウィルにしたのと同じことだった。 ウィルは『とんでもない、子供だましな気休めですね』と笑って言ったけれど。 彼女はどうなんだろう。 ひとつ間を空けて アズリアもウィルと同じように、ぷっと吹き出して笑った。 「私までお前の生徒なのかっ!?」 その反応に安心して、自分にも同じように笑いがこみ上げてきた。 白くなりかけていた意識がとりあえず落ち着く。 「あ、はは。そうだね、ゴメン。  でも、でもさ。俺はちゃんとアズリアの後ろにいるよ  君が辛かったり、苦しかったりする時は、君の背中を支えて押してあげるよ」 「レッ…クス……」 情けない男だよな、俺も。と心の中で毒づく。 決して隣で一緒にはいられないから、せめてでも後ろにいて 君の傍にいようとする。 でも、支えていてあげたいと思うのは本当の気持ち。 イスラという彼女の中で大きな部分を占めていたものが消えて、 以前よりも脆くなってしまったようだったから。 きっとそれは、俺の勝手な思い込みでしかない。 彼女は俺に支えられるほど弱い人間ではないんだ。 そう解っているのに、心はアズリアに必要とされたがっていた。 「…っ」 不意にアズリアの肩が震えた。泣いて、いるのだろうか。 どんな理由であれ、彼女が泣くのは本意ではない。 仲間になった夜のように抱きしめてしまい衝動を必死におさえた。 背中に手を置いたまま、何も出来ずにいると、 「ありがとう」 震えていたけれど、思ったよりも穏やかな声がした。 その声に、その言葉に息が詰まった。 触れていない方の左手に思わず力が入る。 このままでもいいのか? 後ろで君の夢が叶うのを、一緒に願っていてもいいのか? 分からない。 分からないけれど、涙が溢れた。 「あぁ…っ」 涙でかすれる声を絞りだして返事をした。 彼女よりも震えて、短くて、単純で、情けない声だった。 手から伝わる熱が離れていった。 「じゃあ、また明日。」 そういう彼女の声はもう震えてなど居なかった。 最後まで、彼女の強さに甘えてしまった自分を戒めるために あえて涙は拭かなかった。 アズリアは一度もこちらを振り返らずに来た道を戻っていく。 つけられた足跡はさざ波によって掻き消された。 別れのときは目前に迫ってきているけれど、 未だに彼女への想いは薄れる事をしらない。 本当は、忘れてしまわないといけない想いだけれど。 また今夜彼女をひとつ好きになってしまった。 最後の夜は、まだ長い。