BEST PLACE

特別教室の一番後ろの、窓側の席。 図書館の軍法書の棚の後ろの机。 中庭外れの大きな名前の知らない木の下。 誰も知らない喫茶店の一番奥のカウンター。 そこが、私とアイツの特等席。 最初は私ひとりの特等席だったのに、いつからだろう。 その隣のスペースが一人分多くなったのは。 周りが自分を気不味く、近づきにくく思っているのは知っていた。 知ったところでどうでもないし、自分の勉強が邪魔さえされなければ、 それだけで、別に問題はなかった。 だから、その状況はありがたかったのだ。 テスト前になる度に、クラスメイト達に教えを請われて 自分の勉強もままならないようなお人好しな「誰かさん」のようになるよりは。 それなのに。 その「誰かさん」は固いはずのガードを何の苦もなく破り、 へらへらとした笑顔で私の隣で居座った。 いくら拒否をしても、にこりと笑って「失礼します」と頭を下げて椅子を引き出す。 何をするわけでもない。 ただそこに居て私は私の、アイツはアイツの用事を済ませていく。 勉強を教えあうわけでも、話をするわけでもなく。 ただ隣にいるだけだった。 それこそ最初は「気が散る」「邪魔だ」と喚いて追い出していた。 その度に「えー?」と口を尖らせて渋々立ち上がって。 それでも「じゃ、また」と不愉快な笑みを浮かべて立ち去っていくのだったけれど。 いつからだろうか。 そこに、自分の隣にアイツがいるのが当たり前で、心地良いと思ったのは。 心地良い、というか。 素直になれる気がするのだ。 アイツではなく、自分自身にだけれど。 家の名前だとか、「長女」だとか、色々な自分が居る中の 本当の本当の私自身が、時々頭を覗かせるのだ。 何の気兼ねもなく、しょうもないことで笑うことが出来る。 それは、アイツの隣に居る時だけだった。 重い瞼を上下させる。 開かれた真横の窓から微かに風が吹き込んできた。 目を擦って軽く伸びをする。 息を吸うと、図書館独特の、古い本の空気が飛び込んでくる。 嫌いな空気ではなかった。 気持ち良い陽気に軽く居眠りをしてしまったようだ。 昨晩遅くまで調べ物をしていたツケも周ってきたのだろう。 固くなった肩がじんわりと重たい。 もう、帰ってしまおうか。 ちらりと隣の席を見る。 そこには、赤い髪の毛のお人好しの誰かさんは、居なかった。 そういえば授業のすぐ後に先生に呼び出されていた。 割と気が許せる人物だったから、随分と話し込んでいるのだろう。 時計の針は1周半していた。 しばらく何もせず、ぼーっ、と目の前の文法書を眺める。 そこにはただの文字の羅列が並んでいるだけだった。 もう今日すべき課題は終わってしまった。 それなのに。 どうして自分はまだここに居るんだろうか? まどろむ思考の奥の奥で浮かび上がった疑問が具体化してきた ちょうどその時。 「お待たせ!アズリア」 レックスが機嫌よく、ひょっこりと私を覗き込んできた。 急だった。 ぼんやりしていた自分にも非はあるのだが、あまりにも急すぎて 口から飛び出す言葉を脳内で検閲する暇も与えられなかった。 「遅い!」 その言葉を放った瞬間。 自分の中で意識が一気に明瞭になった。 遅い? 遅いって、レックスが? どうしてそう感じるんだ? 自分でも驚いたが、相手も相当吃驚したらしい。 3秒ほど目を見開いて私をまじまじと見た。 「な、何だ…」 「待ってて、くれたんだ…?」 ほにゃ、と人の良い笑みを浮かべて 本当に嬉しそうにレックスは笑った。 待っていた?…レックスを? どうして? 「…いや、そういう訳では。」 渋い顔で手を振りながら否定するけれど、奴はおかまいなしに いつものように隣に座ってノートを開く。 「ありがとう、すごーく嬉しい。」 「だから、レックス、私は…」 私は。 どうしてここに居たんだろう。 考えても、考えても。 いろんなことを考えても、答えは出なかった。 机の上に目線を送ると、風でページがめくられた文法書。 やっぱり、ただの文字の羅列にすぎなかった。 「…帰る。」 いくら考えてもまとまらない。 そうだ、きっと、昨晩無理した所為。 今日は早く帰って休もう。 私は思考を無理やりストップさせて立ち上がった。 文法書と教科書とノートとペンケースを鞄に収める。 「えっ!?俺来たばっかりなのに…」 「貴様の事情なんて知るか。私は、もうここに用はない。」 私は、に力をこめて慌てたように顔を見上げるレックスを見下ろして鞄を持ち上げた。 決めたことはすぐ実行。 出したばかりのノート類を乱雑に鞄に詰め込んで、レックスも追いかけてきた。 図書館の玄関の3メートル先でアイツは追いついて 私の隣に落ち着いた。 「君が待っててくれたんだから、ちゃんと一緒に帰らなくちゃ」などと 訳のわからないことを言って、にこにこと着いてくる。 「先生の家の犬に赤ちゃんが生まれたんだって」だとか「あー、でも俺としては 犬よりも猫のほうが欲しいんだよね」だとか 本当にどうでもいいことをしゃべるレックスの横で 私はひとつ、小さな小さな溜息をついた。 とっとと先に帰ってしまえばよかった。 くだらないことを考えている暇があるのなら、家に帰って休んでおけばよかった。 不覚にも、 自分を追いかけてきたレックスが、ちゃんと今自分の隣にいることが、 物凄く「嬉しい」と感じてしまったのだ。 本当に、本当に、大きな大誤算だ。 こんなことになるなんて。 ひょっこりと顔を出した自分自身は、こっそりと私に耳打ちをしていく。 「レックスが好き」だと……――。