「アズリア」



声をかけると、ひとつふたつと間を置いて
ゆっくりと彼女が振り返る。




逢引

さくさくと粒子が細かな砂浜の砂が音を鳴らす。 最初の頃はその感触に足を取られ歩きにくく感じていたが、 慣れてしまえばどうということもない。 普通の地面のように歩けてしまう。 そんな小さな変化に顔を綻ばせて歩くと、振り返った彼女が 「何へらへら笑ってるんだ。気味が悪い。」 と、今日も手厳しい一言を放つのだった。 今夜も月が綺麗だ。 寝間着姿で律儀に「おやすみなさい」と声をかける生徒が そろそろ寝静まったかな、と思う頃。 レックスはその生徒を起こさぬように静かに静かに部屋を抜け出し、 そうしてこの浜辺にやってきた。 これはもう、ほぼ毎日の日課である。 アズリアがこの浜辺で剣の素振りをしているのを、偶然レックスが発見したのが そもそもの始まり。 まだ腕の傷が完全に治ってはいないのに、と諭すと 彼女はこれくらいの怪我がなんだ、と怒鳴り返して剣を持つ。 自分は休んでなどいられない、このままではいけないのだと。 その姿は学生時代と何ら変わり無くて。 それじゃ、君が無理しないようにここで見張っておく。 そう言って座り込むレックスに、アズリアは猛然と抗議するが ああ言えばこう言う。妙に屁理屈の巧い彼に丸め込まれてしまった。 その夜はそれで終わりだったけれど。 それから月の綺麗な晩は毎日 2人は浜辺でそれを見上げるようになった。 何故かだなんて解らなくて、実際理由はいらなくて。 あの晩が何かのきっかけになって 夜毎の『逢引き』が始まったのだ。 時にはくだらない話をして、 時にはアズリアに説教されて、 時には攻撃布陣の討論をして、 およそ『逢引き』の名には相応しくないのかもしれないけれど。 「今俺達ってさ、逢引きしてるんだよな。」 「…は?」 のんびりと言い放った言葉に素早く彼女は反応して極簡単な言葉を漏らした。 少し強めの海風に吹かれて、彼女の髪がぱたぱたとはためいている。 それと同じようにレックスのマフラーも揺れていた。 「逢引き…って、私とお前が?」 「…これって、そうじゃない?」 そう言ってポンポンと座り込んだ足元の砂を叩く。 アズリアは一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに顔を真っ赤に染め上げて ブンブンと拳を振り上げながら烈火の如く怒り出す。 「じょ、冗談言うなッ!!これのどこが逢引きだ!!?  お前意味がきちんと解って言ってないだろうっ!!?」 困ったように笑いながら首を傾げる。 「えー、解ってるよ?ラブラブ〜な恋人同士が  夜に人目を盗んでこっそり会ってイチャイチャしちゃうこと。」 「〜〜〜〜ッ!!  いつから私たちは『ラブラブ〜な恋人同士』になって  『イチャイチャし』ているんだ?!!」 「…うーん。」 訂正する素振りもなく、その手ごたえもなかったので 遂にはアズリア自身が反抗する気力が無くなったのか、しかしそれでも 顔をしかめ、溜息をついたまま膝を抱え込んだ。 逢引き…そんな色気のあるものじゃない。 心が通じている実感はあるのに、学生時代の癖が抜けない。 決してそんな雰囲気になるのが嫌な訳ではないのだ。 でも、それでも。 何かが壊れていきそうで、一歩が踏み出せない。 音が外に漏れてしまいそうなほど大きくなる心臓の鼓動や、 夜風に吹かれても冷めない火照った頬がアズリアの思うものとは逆に 自己主張しているというのに。 しばらく2人が押し黙ったまま、細波の音だけが鼓膜を震わせていた。 「じゃあさ、アズリア。」 「…!」 突然体が引き寄せられ、バランスを崩したその一瞬後には レックスの腕に抱え込まれていた。 海風に吹かれて冷えたアズリアの体に、彼の体温が少しずつ伝わっていく。 それと同じように、温まっていく体温と一緒に張っていた肩の力もゆるゆると 長い息と共に抜けていった。 耳元で少し笑った声で囁いた。 「今から、逢引きにしようか。」 そうして抱え込んだ腕に力を込める。 すると、自分の胸の辺りから小さく声を漏らす音がした。 力を緩めて覗き込むと、顔を上げた彼女と目が合った。 先まで赤くして怒っていた顔とは正反対に、笑っていた。 「言っておくが、『イチャイチャ』…は期待出来ないぞ?」 それは微笑みというよりは苦笑の部類に入るものだったけれど。 月に照らされて浮かぶ肌と目の輝きがとても綺麗だった。 思わず見入ってしまうほどに。 軽い溜息と共に出された言葉に、彼女らしいと声を立てて笑いながら レックスは再びアズリアを抱き締めた。 「ううん、これで充分。」 多くは望まない。 今ここでこうして彼女と同じ時間を過ごせるだけで幸せなのだから。 敵同士となってしまった時には思いもしなかった、この浜辺での時間。 これだけで、もう充分だ。 「あ、でも。」 「え?」 充分だけれど、折角の『逢引き』なのだ。 もう少し甘い気分にさせて貰っても良いのかもしれない。 目を瞬かせて上げた顔に手を添える。 ぱちぱちとした綺麗な黒い瞳が目に飛び込んだ。 額をこつんと合わせて先よりももっと小さく 世界中の中で、彼女以外の誰にも聞こえないように小さく小さく囁いた。 「やっぱり、キスはさせてくれる?」 今度は彼女が笑う番だった。 まぁ、いいだろう。そう呟いてアズリアは顔を上げた。 月が綺麗な夜の二人の話。