名前を呼んで

「アズリア、アズリア。」 頭の片隅で、微かにその声を察知した。 だけど。 うつらうつらと船を漕いでいたアズリアは、重たい瞼をほんの少し開けた。 ぼんやりと部屋の風景が目に入り、そして頬にはソファーの感触があった。 どうやら眠ってしまっていたらしい。 自分を呼ぶ声は、ほぼ真上から聞こえる。 呼びかけるようだったけど、ふわりと小さく、柔らかかった。 それは学生の頃から聞き慣れた声。 レックスだった。 アズリアは飽きなく続く名前の連呼を無視して再び瞼を閉じた。 昼寝を邪魔されたのに腹がたったわけではない。 対応するのが億劫なのでもない。 ただ、自分を呼ぶ声を聞いていたかった。 学生の頃から、彼には優しい声色で呼ばれていた。 レックスから自分の名前が発せられる、それだけで心音は大きくなる。 「アズリア」と呼ばれる事が、どんな言葉をかけられるよりも好きだった。 だからこそ、敵対した時の彼が嫌いだった。 切羽詰った、悲しそうな声。 そんな声で呼ばれる名前は痛いくらいに寂しい。 『名前を呼ぶな。』 搾り出すように叫んだ自分の言葉。 その瞬間は、現実を受け入れることの出来ない弱い自分が自分を支配する。 呆れるほどに身勝手な。 でも、それくらいにアズリア、と名前を呼ぶ彼が愛しかったから。 「アズリア。」 心地よくて、このままもう一度眠ってしまいそうな声が 今でも耳を静かに打つ。 何よりも幸せな時間だった。 「………アズにゃんvv」 「何だそれはッッッ!!!?」 突如呼ばれる謎の名前に、思わず体を起こして次の瞬間 レックスに掴みかかる。 ふと我に帰った時には遅く。 相変わらずのしまりの無い顔が、嬉しそうに目の前に居た。 「やっぱり狸寝入りだったね?アズリア」 「……な!」 「仮にも軍人の君が、何度名前を呼んでも起きないなんて、ありえないからさ。」 うぅ。と唸ってアズリアはレックスの襟元から手を退いた。 軽く溜息をつくと、ソファーに体勢を直して深く座る。 寝起きでぼんやりとする頭がなんだか恨めしい。 レックスもアズリアに倣って隣に沈み込んだ。 しばらく二人はそのままで各々で視線を動かしたまま、そこから動くこともない。 いつも色々動き回ってるけどさ、たまにはこうやって何もしないのもいいな。 伸びをしながらレックスが呟いた。 何かと用事の溜まる彼のこと。そう実感するのも人一倍なのかもしれない。 アズリアは、薄く笑って頷いた。 これでも充分に幸せな時間だった。 「アズリア」 「…何だ?」 いつもと同じ声色で、優しく優しく飛び込んでくる自分の名前に 心地よい心音を聞きながら小さく返答する。 「呼んでみただけ。」 「……………馬鹿だな。」 子どもじみた行動に思わず吹き出してしまう。 隣のレックスはバツが悪そうに頭を掻いたが、 いつまでもやまないアズリアの笑いにつられて同じように声をたてた。 子どもの様な悪戯だけれど、 アズリアには欲しくて欲しくて堪らない言葉だった。 きっとこれからも、何千回何万回と自分の名前を聴くのだろう。 それでも、 その一回一回に、どうしようもない喜びを感じてしまう。 幸せな、時間なのだろう。