泣くほど嬉しいか?

カーテンを開けると、今日は文句無しの快晴。 いつもとは気持ちが違う今日だけに、目覚めも良い。 いつもと世界は同じだけれど。違うのはきっと自分だけだろうけれど。 毎日この日だけは、両親のことを素直に、 なんの衒いもなく思い出すことが出来た。 笑顔で時には厳しく、たくさんのことを教えてくれた父を。 朗らかで暖かく包み込んでくれた母を。 今はもう居ないその人たちと、正面から出会えることが出来た。 本当は、ドロドロに渦巻いてヘドロのように真っ黒な心が、 今でも隙をついて頭を覗かせてくるけれど。 狂いだしそうなそれを抑えることが出来るのも、 今日という日があるからだと思う。 1年で一回。 「ありがとう」と感謝をする日。 産んでくれてありがとう、と微笑む。 ただそれだけだけど、不安定なレックスの心には十分だった。 「よっ、レックス」 「あぁ、おはよ!」 そしていつも通りの一日が始まる。 レックスには深く交流をしている、特定の友人は居なかった。 まんべんなく誰とでも仲良くするが、 あと一歩を踏み出すことは何故か躊躇ってしまう。 だから、友人にこの日を祝って貰うことはなかった。 「今日、俺誕生日なんだ。」そう言えば、 誰もが笑って「おめでとう」と言ってくれるだろう。 しかしそんな気も起こりはしない。 やはりレックスにとっての「今日」は「両親を想う日」だった。 学校への並木道をのんびりと歩いていると、 前方に見慣れた背中を見付けた。 背筋をピンと伸ばして、やや長めな黒髪を揺らしながら歩くその人。 レックスが仄かに想いを寄せる「彼女」だった。 その後ろ姿を眺めてふと思う。 彼女は自分の誕生日を知っていただろうか? 知っていても知らなくても、 「誕生日?だからどうした」という反応が帰ってくるのはありありと思い浮かべられる。 先とは全く反対の感情が浮かぶのを感じて、 レックスは困ったように微笑んだ。 彼女に、祝ってほしいと、思ってしまった。 無理だと知っているからこそ、きっと気持ちだけは傾けられる。 そんな甘い言葉を考えてしまうのだ。 馬鹿だな、と口内で呟くと、息をついて彼女の背中を追い掛けた。 「おはよう、アズリア!」 「…お前か。早いな」 振り向いて、いつもの笑みを浮かべるレックスを見上げる彼女もまた、 いつもの通りだった。 そして今日の試験の事だとか、先日の訓練のことだとか。 そんな色気の欠片もない、本当に他愛もない事を、 二人は並び歩きながら話す。 それもいつも通りの光景だった。 軍学校の広い正門を抜けたあたりで、アズリアは急に立ち止まる。 何か忘れ物でもしたのだろうか、といぶかしげにレックスは彼女を見下ろした。 普段は堂々と前を見据えるアズリアが、今は顔をうつ向かせている。 変わった様子に戸惑いながらも、レックスは様子を伺うしかない。 すると勢い込んだように彼女をは口を開けた。 「レ、レックス…」 「ん?どうしたの」 「あー…いや、その」 そして又暫く躊躇った後に、彼女は小さく笑った。 「誕生日おめでとう」 瞬間。 レックスの頭は沸点に近づく。 おめでとう? アズリアが! …俺に? 誕生日。おめでとう。 心の奥底で小さく願っていた想いが、本当に、叶ってしまった。 嬉しいとかどうしてとか、様々な感情と思考が次々に打ち寄せる。 そしていつの間にか。 アズリアは呆れたようにレックスを見上げる。 やれやれと吐き出した溜め息には、柔らかいものが混じっていた。 「泣くほど嬉しいか?」 レックスの頬には、幾筋もの涙が伝っていた。 嬉しいに決まってるさ、とも言えず、彼はただただ涙を流すだけだった。 自然に上がる口角。今の自分の顔は、どれだけ情けないだろう? でも、それでも。 感激に溢れる胸の中を、どうやって彼女に見せてあげようか。 レックスは笑みを深くして、彼女を見下ろした。 万感の思いをこめて。 こうして生まれてきた、自分の側に居てくれて。 「ありがとう。」 レックスにとっては動かしがたい事。 今日のこの日は、貴方へ「ありがとう」と伝える日。