継承の斬跡

剣の稽古をしてくれ、と少年がリペアセンターを訪れたのは、 アズリアが丁度自分の剣を磨き始めた頃だった。 まだ痛々しい包帯が目立つ副官とは違い、アズリアの怪我は比較的早く治癒の傾向を見せた。 その分、リハビリ程度に周囲の警護をしていたのだ。 その時の振りを見込んで、こうしてやってきたのだろう。 「稽古ならアティに付けてもらえば良いだろう?アイツは召喚の方が得意だが、剣の腕も立つ。」 「そりゃそうだけどー…何ていうか、先生はそっちのプロじゃないじゃん?  その分アンタなら、剣のプロだから先生より細かい所も気づくかな〜…って。」 ふむ、とアズリアは眉を潜めながら考える。 実は自分は剣よりも槍の方が得意だとか、 そのプロではないアティに負けた私は何なんだ、とか。 けれど、より強くと高みを挑む彼女の生徒の瞳は、驚くほど真っ直ぐで。 気分は悪くはなかった。 「そうだな。言葉使いは気に入らんが、腕ごなしに相手してやるか。」 冗談めかして笑いながらアズリアが言うと、 ナップは驚いたように目を見開いた。 「あ、ありがとう!…ございますッ!」 そして直ぐに慌てて言葉を直す。 その辺りはまだまだ子供らしい。 あらくれものをまとめてきたアズリアには、とても可愛らしく見えた。 「…で、どうしてくれんの?」 ナップは肩に自分の護衛獣を乗せたまま、きらきらとした笑顔で振り返った。 二人は海賊船が着けている岸辺の近くにやってきた。 ナップがアティと剣の鍛練をしているのと同じ場所だ。 「手合わせをするなら地慣れしている方が良いだろう。」 スラリと鞘から剣を抜き出しながら言うと、 目の前できらきらしていた笑顔が一瞬で消えてしまう。 それと同時に焦りの表情がすぐに浮かんだ。 「ちょ…手合わせって…!いきなりアズリアと!?素振り見てくれたりするんじゃ…」 「それは後だな。私は手合わせをしてお前の癖を見る。」 「…へぇ」 先生によってやり方は色々なんだなぁ、と今更なことを呟く。 そして、彼女の手元に握られている剣を見ると、 大きく息を吸って刀身に巻かれた布を剥ぎ取った。 しゅるりと落ちる白い布を、彼の護衛獣が小さな手で受け取る。 ピピ、という電子音を漏らしながらずるずると布を引っ張り、打ち合いの邪魔にならない所まで移動するのを、 ナップはやや緊張した面持ちで、アズリアは微笑んで見遣った。 「まずは今の技量を見せて貰おうか。全力で来い!」 柔らかい微笑みから勝気な笑みへと表情を変えると、アズリアは剣を構えた。 すっと背を伸ばした、正に模範的な構え。 「…はいッ!よろしくお願いします!!」 ナップは湧き上がる高揚感を抑えず、大剣を持ち上げた。 「…行くぞッ」 掛けられた声と同時に目の前の女性からは考えられない大きな力が ナップの剣を伝ってめり込んで来た。 「ありがとうございました。アズリア先生」 その声を掛けられた途端、彼女へと向けられた視線は厳しくなった。 しかし、言葉を発した本人は憶することなく、 紅茶を喉へ滑らせる。 「…お前に言ったのか、あの子」 「はい!お稽古の晩に。すごく嬉しそうに話してくれましたよ。」 アティはカップに口付けたまま、ちらりとアズリアの様子を窺った。 彼女は顔を赤くして目線を泳がせていた。 柄にもないことだ、と小さく呟くと、一気に温い紅茶を流し込む。 「でも本当に嬉しいですよ?召喚術を主にしている私では、 剣を使うナップ君の指導に限界がありますから…」 そう言うと、思った通りアズリアの渋い表情が広がった。 「あの頃と今では、環境が違うもの。…スタートは同じでも、私は召喚術を、 貴方は剣を極めた。そういう事だと思います。」 「…私が小さい事ばかり気にしてるみたいじゃないか」 「実際そうですよ。」 その場にギャレオが居ようものなら、あまりの失礼なアティの物言いに卒倒してしまうだろう。 …しかし、これが彼女達の日常だったのだ。 不意に鼻を霞めた学生時代の香りに、アズリアは苦笑いを漏らした。 「あの子の剣筋はとても素直だ。…良いものを持っている。」 手の中にある鞘を撫でる。その中では、鈍い色の刀身が鈍く輝いているだろう。 アズリアの言葉はアティへの世辞でも何でもなく、 剣を交えて感じたままの言葉だった。 代理教師の思わぬ絶賛に、彼女は手を叩いて喜んだ。 「でしょう!?ナップ君は、私の自慢の生徒ですから!!」 自分のことのようにはしゃぐアティに、アズリアも目を細める。 「お前の指導も、的外れな訳じゃないさ。専門外だと憶することもない。」 「ナップ君の素質と努力です!…ていうかアズリアが人をそんなに誉めるだなんて…。  明日は雨ですかね?授業どうしましょう?」 アティか冗談混じりに笑う。その顔は間違いなく「先生」のものだった。 軍人よりも、コイツには似合ってるな…―。 改めて感じたその思いに、アズリアは彼女と別れてしまった立ち位置を切なく感じた。 けれど、それと同時に湧き上がるのは、安心感や高揚感に似た暖かい感情。 彼女が確かなその場所を見つけたことが、アズリアは何より嬉しかった。 再び注がれた紅茶に自分の姿を写す。 温かいカップを持つ両の手には、まだ先日の剣撃の感触が残っていた。 「…まぁ、あの年代にしては、だからな。まだまだ私は超えられないさ。」 その時期はそう遠くはないと思うけれど。 同じようにカップを包み持っていたアティがその言葉で顔を上げる。 先程の先生の顔のまま。 「じゃあ、まだまだご指導お願いしますね。アズリア先生。」 笑ったその顔は、私の知らない「先生」のものだったけれど。 とてもとても、綺麗だった。