酒精の誘惑

ひんやりとした壁が、火照った体の熱を奪う。 それが眠気を誘うほどに気持ち良い。 朦朧とする意識で、必死に目を開ける。 頭を打ち付けたようにぼんやりとした頭で臨む視界には いつもとは格段に近付いている愛しい愛しい彼女の顔があった。 座り込んだ俺の膝の上に跨った彼女は先ほどからこちらを睨みあげている。 彼女の目つきが厳しいことはいつものことだったけれど。 今目の前に見える双眸は、明らかにいつもとは違う。 とろんとしつつも、じっとこちらを睨む。完全に据わった目だ。 そして彼女はしばらく俺を睨み、開口一番言い放つ。 「飲め!」 俺は、酒には弱くないはずだ。 軍に入隊したての新人の頃、先輩に連れ回されてみっちり仕込まれた所為だ。 対して彼女は強くはない。 自分達の卒業前に寮でこっそり行われた宴会では、確か俺より先にギブアップしていた。 飲み始めて30分経ってはいなかったので、生来の弱さだったのではないだろうか。 軍人らしい毅然とした態度を彼女は重んじていた。 入隊して片手の回数ほど彼女と酒を飲んだが、 あれ以来酔いつぶれた姿を見たことはない。 軍から退いてこの島で再開するまで随分と間があったけれど、 矢張り相変わらずのようだった。 彼女だって子供じゃない。自分の限度くらい、知っているだろうに。 「…アズリア。これ以上飲んだら毒だよ?」 「何だとッ!?貴様、私の酒が飲めないのかーッ!!」 この有様。 膝に乗った彼女からは自分とは比べられない程の熱。 頬を肩に摺り寄せて、上目遣いで駄々を捏ねるこの状況。 今までにないくらい、長時間の密着をしている訳だけれど。 正直、嬉しさ半分・寂しさ半分。 こういうコトは、素面の時にして欲しいなァ。アズリア…。 チラリと横目で座敷を見渡すと、既に酔いつぶれた島の仲間達が目に入る。 カイル、キュウマ、オウキーニさん、あぁ…ヤードまで…。 ミスミ様は「お泊り会」と称して集まった子供達と一緒に 大分前に寝間へ引っ込んでしまった。 スカーレルとヤッファは早々に場所移動。 ギャレオも真っ赤な顔をして眠り込んでいる。 この惨状の中で生き残っていたのは、 「にゃははははは〜♪」 万年酔いどれ占い師。 「メ、メイメイさぁーん…」 「アラ?なぁに?!先生飲みが足りないわよッ!!ホラホラー!」 この状況を打破しようと呼んだけれど、当然それに応えてくれるはずもなく。 アズリアの持っているグラスに目をつけて、つつつーッとビンを伸ばしてくる。 「先生がいっぱい『竜殺し』溜め込んでたお陰で、メイメイさんハッピーよッ♪  ホラホラ、飲む飲むー!!」 「うん、頂こうか…」 「にゃははッ♪隊長さんイイ呑みっぷりー♪♪」 状況は悪化する一方のようだった。 しばらく、 俺の膝の上とその横で小さな乾杯が続いていたが。 「…あら?アズリア…?」 重みの増した体とメイメイさんの呼びかける声に気づいて覗き込むと、 そこには、赤みのかかった頬でリズム良く寝息を立てる彼女の顔があった。 握りこまれていたグラスをゆっくりと取って 少しだけホッとする。 小さく息をつくと、メイメイさんが隣で同じように小さく笑った。 「先生、役得じゃない。」 じっと俺を見る瞳には、新しい玩具を見つけたかのように 意地の悪い光があった。 「そんなんじゃ…ないけど。」 役得とまでは思わないけど、この重みが少し嬉しかったりする。 肩に乗った艶やかな黒髪をそっと撫でてみた。 「ね、先生。」 「はい?」 「不安なことや、辛いことを誤魔化すお酒って、止まらないのよね。」 「…アズリアが?」 メイメイさんは、頷く代わりに目を細めた。 「無色の奴らのことは終わったけど、彼女の弟とはまだまだこれからでしょ?」 「…だから、こんな飲み方した…」 「でしょうね。」 頭が真っ白になった気分だ。 根っから軍人気質の彼女が、羽目を外して自分が無くなるまで飲むはずがない。 普段の状況、ならば。 でも、明日にも明後日にもイスラと剣を交えるかもしれない今。 彼女の不安はどれほどなのだろうか。 支えると、決めたはずなのに。 こんなことにも気づけない自分が歯痒くて。 「今度は、一緒に楽しいお酒が飲めるといいわね。」 「…うん。」 彼女を抱えた腕にそっと力を込めた。